小さい頃、プールで溺れたから、泳げなかった。学校の水泳の授業が嫌いで、どうにも泳げる気がしなかった。
あるとき、家の近くにプールが出来て通うようになった。泳げないにもかかわらず。人間は不思議なもので、通ううちに水への恐怖心が薄れ、自己流の平泳ぎやクロールで泳げるようになった。初めは、25mプールを泳ぐのが精一杯だったのに、そのうち足をつかずにいくらでも泳げるようになった。やればできるものだ。
ここで教訓を得た。人は教わらずとも見よう見まねで出来ることもある、と。ただ、自分の泳ぐ姿を見たことがないので、他人から見れば、泳いでいるのか溺れているのか見分けがつかないかも知れない。目的は達成されている、あとは美醜の問題だ。
何かを習得する、もしくは何かを学ぶ際、スムーズにいくことの方が希だろう。上手くいかないと苦しくて投げ出してしまうかもしれない、まるで溺れた僕のように。
でもいつか、見た目は溺れているようでも泳げるようになるかもしれない。
それとも、わざと溺れて水と戯れているのかもしれない。
とりあえず溺れるのだ、自分の興味の赴くままに。
あるとき、家の近くにプールが出来て通うようになった。泳げないにもかかわらず。人間は不思議なもので、通ううちに水への恐怖心が薄れ、自己流の平泳ぎやクロールで泳げるようになった。初めは、25mプールを泳ぐのが精一杯だったのに、そのうち足をつかずにいくらでも泳げるようになった。やればできるものだ。
ここで教訓を得た。人は教わらずとも見よう見まねで出来ることもある、と。ただ、自分の泳ぐ姿を見たことがないので、他人から見れば、泳いでいるのか溺れているのか見分けがつかないかも知れない。目的は達成されている、あとは美醜の問題だ。
何かを習得する、もしくは何かを学ぶ際、スムーズにいくことの方が希だろう。上手くいかないと苦しくて投げ出してしまうかもしれない、まるで溺れた僕のように。
でもいつか、見た目は溺れているようでも泳げるようになるかもしれない。
それとも、わざと溺れて水と戯れているのかもしれない。
とりあえず溺れるのだ、自分の興味の赴くままに。
コメント
コメントを投稿